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昨年の秋、友達に誘われて訪れたこちらの美術館で、 私は生まれて初めて、絵画鑑賞を心から楽しいと思えました。 作品を観て感嘆の声を上げたのも、 あまりに緻密な筆致ぶりに興奮したのも、 気に入った作品と作品の間を、何度も行ったり来たりしたのも初めて。 そうか、私が好きなのは写実的な作品なんだ、 私が目指したいのは、こういう絵なんだ! それは、子どもの頃から、絵画は観るのも描くのも苦痛だった私にとって、 小さな一歩、でも大きな意味のある出来事でした。 人間の目で見たままを描くのが、写実絵画。 想像力、創造力、情緒が欠落し、 超現実的な私には、ものすごく納得できるコンセプトだなと。 そうして写実主義に開眼した私が、満を持してお送りするのは、
健康 昨年のような医療費20万円超えはないけれど、 救急車と帯状疱疹は、さすがに堪えました。 これまで敬遠していた"ワークライフバランス"や、 あまり好きではなかった"ロハス"の意味を、 考えるきっかけにはなりましたね。 …現実は、WLBやロハスから程遠くなる一方ですけど。 恋愛 年明けからぎくしゃくすることが多くて、上半期はどん底でした。 メールのやりとりも刺々しくて、たまに読み返すと苦しくなります。 彼は逃げずに、諭すように私と向き合ってくれましたが、 5月の連休中、ついに別れることになりました。 どっちが悪いとか、何かしたということではないだけに、 何を言えば、何をすれば、このぎくしゃく感が取り除けるのか、 関係を立て直したいのに、これ以上どうしたらいいかわからない、 という状況に直面して悩んだのは、初めてだと思います。 その後、やり直すことになり、今に至ります。 相手の考えを知り、お互いの考え方の違いが明確になっただけ、 距離の置き方とか、気持ちの温度とか、以前より安定してきたと思います。 いい意味での、諦め、も覚えたかな…これ、大事ですよね。 彼と出逢って3年3ヶ月。逢う度に、今も新たな魅力の発見があります。 素敵だなあと思ったり、改めてリスペクトしたり。 そういう時、お互い、そこそこ年を重ねてから出逢えてよかったなと思うのです。 仕事 某O社とは規模も背景も違いますが、当社にもこの夏、激震が走りました。 もう精神的に疲れてしまい、 タイミング的に、帯状疱疹や救急車騒ぎとも重なり、 このままじゃ、あたしつぶれるな、と。 これまでは、仕事中に倒れて会社で死ぬならそれも本望、と思っていましたが、 初めて、そこまでしたくないと思いました。 いよいよ会社への未練も薄れたかと、転職も考え、 人材紹介会社の外人コンサルタントに会ったり、 11年ぶりに英文履歴書をアップデートしてみたり。 でも、 この11年間、自分は何をしてきたんだろう、 積み重ねてカタチにしてきたもの、専門性の高いスキルが何もないじゃないか、 その道のプロフェッショナルにアドバイスをもらい、 自分で、今の自分と自分の生きてきた証を見つめ直す作業をしてみて、 厳しい現実を思い知らされています。 その後、状況が二転三転し、引き続きこの会社で働いていますが、 1月から、私の担当業務はさらに増えます。 それに伴い、昨日から私の会社のメールアカウントは6つになりました。 気力、体力、能力的に持つかどうか、全く自信ありません。 一体、あと何年、頑張ればいいんだろうね。 高度医療技術も大切だけど、寿命がわかる技術も発達すればいいのに。 blog ワイド画面の地デジTVをつけ、 PCを立ち上げブログ巡回、 片手にスマホでTwitterのTLを追いながら、 同時にTV番組のハッシュタグを追いかける、 時々、仕事のメールと各種SNSをチェック、 スマホにダウンロードした音楽をイヤホンで聴きながら、夕刊を広げる、 ツイート、コメントは慣れ親しんだガラケーで片手親指入力…、 ある晩、気がついたらとんでもなく集中力散漫なことをしている自分に、唖然としました。 これでは、ブログの更新頻度も落ちるはずです。 どれ一つとして、集中、専念していないんだもの。 アタマも確実に悪くなっているような気がします(-_-;)。 自宅でPC立ち上げるのも、月2-3回ぐらいと激減したし、 起動させても、他が忙しくて、自分のブログ更新まで至りません。 手軽な短文投稿や、いいね! もそれはそれで好きだし、 スマホは本当に便利だと思いますが、 文章を書き、読み返し、書き直す習慣から、あっという間に遠ざかってしまいました。 "自分自身にまつわる出来事と感情の記録" 杏ロゴ下のメッセージが変わったこと、お気づきになりましたでしょうか? 他のどこでもない、 ここに書き記しておきたい"私にまつわる出来事と感情"が、まだまだあります。 来年は、同時に使う情報通信機器は二つまでとし(笑)、 ブログに回帰したいなと思っています。 ------------------------------------------- 今年も拙ブログをお読みいただき、ありがとうございました。 皆様、どうぞよいお年をお迎え下さいませ。 杏 拝
震災も原発事故も、まだまだ決して総括できる段階ではない。 ただ、今年起きた未曾有の大地震と津波、 そして、その災害がもたらした"想定外"の原発事故を振り返ってみて、 思い出すだけで、今も胃がきりきりと痛むような出来事を、 (いや、私の痛みなど、被災された方や家族を失った方に較べたら微々たるもので、 いまだ過酷な状況下にある方たちからは、 甘えるなとお叱りを受けるかもしれないのだけれど、) 二度と起きて欲しくないという祈るような気持ちで、書き留めておこうと思う。 "放射能"を巡って思いがけず生じた、誰も予想もしていなかった対立。 それは、匿名でお互いを攻撃しやすいネットの世界だけでなく、 リアルに、極めて身近なところでも起きた。 3.11の翌日から始まって、今もなお続く。 私が肩が凝ったと言えば、放射能のせいじゃないか? と言われ、 私がお腹が痛いと言えば、それも放射能のせい、 居酒屋で、私が冷奴をオーダーすれば、 大豆は危ないから、僕は京都から取り寄せているんだよね…と呟かれ、 シメにおうどんをオーダーすれば、 小麦も危ないんだ…とため息をつかれ、 秋には恐ろしいことが起きて、お米も食べられなくなるから、 福島の人は逃げなきゃいけないのに、逃げないのは政府に騙されているからだ、 福島の人は、危険性がわかっていないんだ、 避難しない人は、子どものことを考えてない、 なんで逃げないんだ、癌が増えているんだよ、 うちは給食やめて、子どもにお弁当を持たせている、 東京の水道水だって危ない、 都や水道局は本当のデータを開示していないから、みんな騙されているんだ、 だから会社のコーヒーもお茶も、ペットボトルのミネラルウォーターを沸かして使おう、 東京も放射能で汚染されたから、会社は直ちに関西にオフィスを移すべき、 外国の研究機関の放射性物質飛散状況データを、皆さんに転送します、 ..............等々 原発事故以来、ガイガーカウンターを携行し、 ことごとく発せられる同僚@40代男性の言動と行動に対して、 他の社員たちは、9ヶ月間、当たり障りなく接してきたのだけれど、 (正確に言うと、私は何度か衝突した) ついに先週、私がぶちキレてしまった。 水に限らずなんでも、どこまでを安全と思い、何を危険と思うか、 たとえ、同じ情報やデータを見聞きしても、判断や選択とその後の対応は、 各家庭の考え方や各々の立場、生活環境、経済状況、年齢、性別、 家族構成、地域などによっても違う、 避難したくても、諸事情により避難できない人、 逆に避難できる条件が整っていても、避難せずに残ることを選択する人、 人にはそれぞれ事情や考えがあって、それぞれの判断や選択がある、 避難しない人の事情も理解せずに、一方的に決めつけて非難するのはおかしい、 しかも遠く離れたところから、逃げろ、逃げろと声高に叫ぶだけ、 それが、福島の人のことを考えて、と言えるのか? 飲食のような個人的なことであれば、なおさら、 もちろん、子どもの口に入るものは、大人が選ばなくてはいけないけれど、 他人が選ぶ食べ物の産地まで、どうこう言われたくない、 私は、会社と同じ東京に住んで、自宅でも水道水を飲用に利用している、 別に自分が、安全や健康を疎かにしているわけではなく、 それが現時点で私が下した判断と選択であって、 口に入るあらゆる水を、ミネラルウォーターにするかしないか、 またそれが可能かどうかは、人によって異なる、 給食の代わりにお弁当を毎日持たせられるかどうかだって、家庭によって異なる、 各家庭や個人の判断は、他人が口を挟むことではないのだから、 貴方が、家族を守るために下した個人の判断と選択は尊重するし、 私はそれを、一切、批判非難しない、 もし、東京は危険だからと貴方が家族と一緒に避難するなら、 会社は止めないし、止められない、 こういう状況下なのだから、 社員の決断が、会社の決定より尊重されることがあってもいい、 でも貴方にも、自分とは違う判断や選択があるということを理解し、尊重して欲しい、 なんでもかんでも放射能のせいと言われたり、 決めつけるような言い方をされたり、こちらの考えを否定されたり、 どれだけ不快な気持ちになっているかわからないのか? 言い放った後の後味の悪さは、いまだ経験したことのないもので、 悔しくて悔しくて、会社のトイレで涙が止まらなかった。 彼に対する悔しさとは違う。 どこにもぶつけようのない自己嫌悪と、苦い苦い後悔。 決して、反原発vs原発支持派で対立しているわけではないのに。 むしろ私も彼も、東京が消費する電力の需給事情や原発事情には無知無関心で、 この事故で、初めてその現状や原発のリスクを知った。 安全と安心を望む気持ちだって、本来、同じはずなのに、 どうしてこうも、嫌な言い合いをしなくてはいけないのだろう。 ひとたび何か起きれば、 人は情報やデータに基づき、何らかの判断と選択をし、それに従って行動する。 政府や関係機関、電力会社、メディアの情報を全面的に信じられなくても、 いや、全面的に信じられないからこそ、 人はどこかのタイミングで、判断と選択をしなくてはいけない。 その判断と選択が自分と違うからといって、どうして責められなければいけないんだろう。 もっとも子どもの数十年後の健康について、誰かが保証してくれるわけでもなく、 親として、できることは何でもしておきたい、 あの時、ああしておけばよかったと後悔したくない、 子どもの健康と将来を案じる彼の気持ちは、痛いほどわかる。 ただ、私がそう言葉を重ねたところで、到底、親である彼には及ばないわけで、 親になったことがないから、子どもがいないから、この気持ちがわからないんだ、 きっとその通りなんだろう。 私は、私の健康だけ考え、自分だけに責任持てばいい立場なのだから。 口に出して言われたわけじゃない。 でも、そう思われているんじゃないかと気にする自分に苛立ち、 私の言葉は、子を持つ親に対して非情で冷酷なんだろうかと思い悩む。 悔しさや自己嫌悪は、そこにあるのだろうなと思う。 もう、無知無関心が許される日は訪れないのだろう。 でも、見えない放射能を巡って人々がいがみ合う日々は、 どうか一日も早く終わって欲しい。
サンタさんは、 よい子だけじゃなくて、よいオトナんちにも(こそ)立ち寄るべきだと思う。 モノが欲しいんじゃない。 よくがんばってるね、ちゃんと見てるよ、 いいんだよ、そのままで、 言葉が欲しいの。 ![]() と言いつつ、中学に入るまでサンタさんを信じていた私は、 大人になった今も、 25日の朝、起き上がる前に、念のため枕元を手でまさぐる習慣が抜けない。 もしかして、もしかしたら…ってね。 オトナの私なら、 あたたかいミルクティーを入れて、 美味しいシュトーレンをご用意して、 寒い中大忙しの、夜勤のサンタさんをねぎらえるし、 サンタさんの愚痴の聞き役にもなれるのに。 煙突減ってオートロックが増えて、マッタク最近の家はガードが固てぇな、 最近の子どもは夜更かしだから、忍び込む時間にも気を遣うんだよなー、 年々、ワシも寒さが身体に堪えるようになってねぇ…、 とかね。 Wishing you a Merry Christmas!
高校時代の友人と、久しぶりに会って食事することになった。 出会ってから、かれこれもう29年。 その間、彼女は一姫二太郎に恵まれ、 でも、子どもを生む前も生んだ後も、 同じ国で駐在妻同士だった時も、私がシングルになってからも、 いつも同じスタンスで付き合える人だった。 約束の食事の日、急遽、その一姫二太郎ちゃんたちも参加することになって、 正直、私は緊張した。 私の記憶にある姫と太郎は、ランドセルを背負っている小学校低学年の子ども。 オトナの会話に飽きてぐずる太郎は、ママに甘え、 しっかり者の姫は、オトナを質問攻めにして困らせていた。 最後に一家と会ったのは、確か両国のちゃんこ鍋屋で、 二人の前には子ども用のスプーンがあった。 日頃、オトナとしか接していない私は、 上は何歳でもOK(笑)、話を合わせられる自信があるけれど、 下は本当に苦手だ。 子どもいないし、子育て中の友達とは疎遠だし、 新卒採用もないから、もう何年も20代以下の若者と接していないことになるわけで、 今、姫と太郎が、 どれくらい言葉を喋れて、何を食べて、何に関心があるのか、 携帯でゲームばっかりしているんだろうか、 マッタク想像もつかないまま、 どちらかというと重い足取りで店に向かったのだが、 すらりとした大学生の姫と、逞しくなった高校生の太郎は、 私を見てさっと立ち上がり、にこやかに挨拶してくれた。 成長ぶりと大人びた振る舞いに、ただただ目を見張り、 そしてさっきまでの気の重さは吹っ飛び、 勉強、部活、サークル、バイト、お互い住んでいた中国のこと…次から次へと話が弾んだ。 そうかそうか、ヒトは生まれて10数年も経つと、こんなに対話できるようになるのか。 対等にコミュニケーションできることが、楽しくてうれしくて、 杏さん、杏さんと話しかけてくれる姫と太郎が、愛おしくてたまらなかった。 子どもは、ちっちゃいから可愛いのだ、 そう思っていた。 大きくなったら反抗期もあるし、生意気なことも言うようになる、 育てることは気の長いプロセス、責任だけ重くて大変なこと、 そう思っていた。 だから赤ちゃんを欲しいと思うことはあっても、育てることには尻込みしていた。 赤ちゃんを授かれる可能性と、育てられる環境があった時でさえ。 他人の子の成長をこれほど感慨深く思えるなら、 我が子の成長なら、どれほどの喜びがあるというのだろう。 この年にして初めて、そう、思った。 それにしても、目の前にいる友人は、 一緒に早弁したり、買い食いしたり、修学旅行先で悪さした仲なのに、 姫と太郎をここまで育てたのも彼女だと思うと、 これまた感慨深い。 その彼女が、姫の門限について悩んでおり、私の意見を求められた。 うちの親は、世界一うるさくて厳しい親だと思っていた…門限に限らずね。 親曰く、自宅にいる限りは親が決めたルールを守れと。 なんでこんな厳しい家に生まれたんだろうと、嘆いたこともあった。 でもね、今は厳しく躾けてくれたことに感謝してる。 あの頃、親にうるさく言われたことって、今も刷り込まれてるんだよね、くやしいけど。 ご近所の手前、夜遅く、タクシーで家の真ん前まで乗りつけない、とか。 いまだに私、曲がり角で降りて、残り数メートルとぼとぼ歩いているんだよ。 誰も見てないのに(笑)。 すぐさま彼女は、姫に向かって言う。 ほらね、お母さんの言った通りでしょ。 自宅にいて親のスネかじっている間は、親が決めたルールを守ること。 ちょっと不貞腐れた姫が、かつての自分に重なって、また愛おしい。 私は、守られ育てられ、躾けられた立場しか知らないけれど、 友人は、子を守り育て、躾ける立場になったんだなあとしみじみ思う。 子どもの10数年が「成長」なのに対して、 オトナの10数年は「退化」だよなあと感じる今日この頃だったが、 子どもを育てていく過程において、 オトナである親も悩んで、葛藤しながら、やはり成長していくのだろう。 成長しきれていない自分の未熟さを認めるようで、今まで言葉にしてこなかったけれど、 今ならすうっと、すとんと腑に落ちる。 親なんて、セックスすればなれる もともと完成した人間でもなんでもない 子どもがオトナになるのは、それに気づくこと ある人の言葉を、時々思い出す。 父と母も、娘二人を育てる過程で、悩んだり迷ったりしたことがあったんだろうか。
はるばるきたぜ 函館へ~。 ![]() 着くや否や、朝市に直行。 ![]() がんばって早起きして、8時55分函館着のフライトにしたのは、 ![]() 朝市で朝ごはんを食べるため。 海鮮丼(これ、ミニサイズだからね)と函館名物イカソーメンを食べました。 ![]() とにかく無心で歩きたかったので、地図を片手に元町散策。 南部坂、二十間坂、大三坂、八幡坂、日和坂、基坂、東坂、弥生坂、 常盤坂、姿見坂、幸坂、千歳坂、船見坂、魚見坂…。 日本語って美しくて、味わいがありますね。 上ったり下ったり、どの坂も海に通じており、 坂から坂へ横に移動すると、合間合間に海が見えます。 北国の紅葉の赤は、ひときわ鮮やかで濃いように思いました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 異国情緒溢れる教会や洋館。 自分が異国を訪れている外国人になったような、不思議な感じ。 ![]() ペリーって、函館(1854年。当時は箱館)にも来航していたんですね。 え、知ってた? これ常識(汗)? 5隻の艦船を引き連れて、ペリーが箱館に来航した時、 人々は開港に対して不安や怖れを抱いていたのでしょうか、 それとも希望に満ち溢れていたのでしょうか。 少なくともTPP(交渉参加)を巡る世論よりは、夢があったんじゃないかなと思います。 ![]() 左)函館=塩ラーメンなのね。私は、ラーメンは絶対塩! なのでうれしいです。 中)ソフトクリーム屋さんが多くてびっくり。濃厚で美味しゅうございました。 右)旧イギリス領事館内のカフェでアフタヌーンティー。 ![]() 金森赤レンガ倉庫とベイエリア。 国際自由貿易港として栄えた当時の箱館に、思いを馳せます。 ![]() ひとりでビヤホールって、 すごくね? ![]() ちょっとフクザツ…。 デパートの物産展で、 北海道は一番人気だし、 私も大好きなんだけど。 発祥の地で地元の人が買えないなんて。 ![]() 五稜郭も、まだ紅葉がきれいでした。実にいいところですね。 五稜郭タワーからの眺めはもちろん、 ペリー艦隊来航から箱館戦争終焉までをフィギュアで再現した展示が秀逸で、 真剣に見入っている人も多かったです。 歴史が苦手な私のアタマの中で、ようやく歴史上の点と点が繋がりました。 …土方歳三が、とてもいいオトコだったこともわかりました。ムフッ ![]() 路面電車が好きです。 移動手段の一つに過ぎないのだけれど、 その移動の時間が穏やかに流れ、 優しい気持ちになれる。 東京にもあればいいのに。 ![]() 路面電車に乗って行った先は、 津軽海峡を臨むお寿司屋さん。 おまかせで握っていただきました。 目の前の海で獲れたイカ、 蝦夷あわび、ぼたんえび、大トロ…。 もう、感動の味でしたよ。 今度は是非、夜、来なさい。 ここから見える漁火がきれいですから。 たまたまカウンターに居合わせた、 品のいい、地元の年配の男性客が、 教えて下さいました。 せっかく湯の川温泉まで来たのだからと、板さん行きつけの温泉を紹介してもらい、 ![]() 広大な津軽海峡を一望できる露天温泉に立ち寄りました。 BGMは波の音。向こうにうっすらと下北半島が見えます。 ![]() 夕陽が沈んでいくのを見ながら、熱い露天風呂で何を考えていたかというと、 帰りたくないなあ…。 この秋、ターニングポイントかなと思う出来事がありました。 自分なりに一旦出した結論も、諸事情により二転三転しましたが、 結果的に来年から仕事の内容が一部変わり(というか、量が増える)、 責任も重くなりそうです。 この先待ち受ける変化に、体力的・気力的についていけるのかどうか、 不安や迷いを抱えてのひとり旅でしたが、 それでも、滞在中はぐっすり眠ることができました。 函館の空気と、美味しいモノと、穏やかな時間の流れと、 ちっぽけな自分の悩みに比べて、ダイナミックな歴史と雄大な自然が、 心身の疲れや緊張を和らげてくれたのかもしれません。 ![]() ひとりで百万ドルの夜景も、すごくなくなくない(笑)? 函館の夜景が美しいのは、明る過ぎないからだと思います。 山や海の闇と街中の灯が、函館の地形をくっきりと浮かび上がらせる。 新宿や六本木じゃ、こうはいきません。 それにしても函館は昼と夜とで寒暖の差が激しく、 夜の函館山頂は凍えるように冷えます。 繋いであっためてくれる手が欲しいと、初めて思いました(^^)。 好きな街、また訪れたい街が、また一つ増えました。 行ってよかった。
明日から、ちょっとひとり旅に行ってきます。 体は壊すわ、 仕事は増えるわ、 次から次へと問題が起きるわで、 詳しくは書けませんが、激動の4ヶ月。 まだ落ち着いたわけではないけれど、 なかなか疲れとストレスが取れないので、 独りになってゆっくりしてこようかなと。 伊勢、九州に続いて三度目のひとり旅になります。 一週間前の昼休みに、急に思い立って衝動的に決め、 10分でフライトと宿を予約しました。 自分のそういうトコ、結構オトコマエで好きです(^^)。 さて、わたしは何処へ行くのでしょう♪ ![]() ![]() そういうわけで、今夜も餃子。 いつものよりちょっとお高めの、成城石井のいい皮で包み、水餃子にしてみました。 このお匙は、昔、夫と訪れた旅先で買ったものです。 チューリッヒかアムステルダムのどちらかなのですが、 はっきり思い出せないのは、やっぱりその後別れたからでしょうか(-_-)。 もともと赤ちゃんの離乳食をすくうためのお匙で、 当時はわたくしたちも子作りに励んでいたので^^;、そのつもりで買ったのですが、 今となっては餃子の餡を適量すくって皮で包むのに、大変役立っている次第です。 適度な重さといい、持ちやすさといい、人間工学にかなっているというか、 実は餃子作り用スプーンだったのではないかと思うくらい。 スイス人にしてもオランダ人にしても、そうそう家で餃子は作らないと思いますけどね。 餃子好きな私が餃子を作る度に、 決して苦くはないけれど、ちくっと小骨のように引っ掛かる、遠い昔の思い出です。
3人で会うのは2年半ぶり。 赤い彗星会が、先日、東京で開催されました。 私たち、通常の3倍のスピードで喋って食って飲むから、赤い彗星会。 何しろ私は、体調を著しく壊した直後なので、 kasumixさまやスカタン女王様のスピードについていけるかどうか不安で、 一週間前から、少しずつお酒を解禁してみたり、お肉を食べてみたりと、 本番に向けて、スポーツ選手さながらに身体を調整、胃腸を馴らしていたわけです。 当日の一軒目は、新宿にある炭火串焼と鉄板餃子がウリの博多料理の店で、 私は控えめに、ビールを一杯だけいただきました。 そして二年半のブランクを埋めるように、互いの近況報告兼ねてマシンガントーク。 ・・・それぞれに、いろいろあったのねん。 私は、餃子の羽根の存在意義をマッタク認めていないというか、 羽根にこだわる店主の意図を理解しかねるのですが、 博多の餃子は、羽根つきが一般的なのでしょうか…。 ![]() 味は良かったけど。 二軒目は、当初おしゃれなスペインバルを考えていたのですが、 なぜか女子三人で歌舞伎町に移動し、怪しげな(でも老舗)台湾客家料理屋へ。 杏らしく、一杯目は杏酒ロックをいただき、 ![]() そして、ここでも餃子を注文してしまいました。 ![]() 私は、餃子がとっても大好きなんですよ。 家でも、月に3~4回は作ります。 このお店の餃子は、私好みの味で、とても美味しくて、 二軒目じゃなければ、胃腸を壊していなければ、一皿全部食べたかったです。 ・・・一人8個って、別に普通だよね? 台湾人のおかみさんが、とても気さくないい人で、 おねえさんたち、肌がつやつやしてて若いわ、 とホメ殺して下さるので、 いえいえ、おかみさんだってきれいですよー、 とホメ殺し返したら、紹興酒一本サービスして下さいました(笑)。 杏酒で、今宵は抑え気味にいこうと思っていたのですが、 せっかくのご厚意を無駄に出来ないと、急遽予定を変更。 すでにスカタン女王様は、二客並べた椅子の上に横たわり爆睡状態だったので、 私とkasumixさまとで、しんみり話しながら飲んでいました。 参考までに紹興酒は、 常温でレモンを入れていただくのが(中国で覚えた飲み方)、私は好きです。 寝ている女王様を起こして向かった三軒目は、風林会館の中の喫茶店。 事件の現場になったことが、あるとかないとか。 でも、メニューも店員さんもお客さんも、普通でしたよ。 歌舞伎町という場所柄、それはそれは路上での客引きがすごいんですけれども、 最近の六本木よりは怖くないなあと思います。 ただ、声かけて来る人来る人、みんなが、 オカマバー、どうですか? ・・・・・・(-_-)。 別に行きたいわけじゃないけれど、 3人の熟女は、ホストクラブの客層としてはマッタク見られていないのかと、 ちょっとだけ思った次第です(笑)。 ま、ちやほやされて舞い上がるタイプでもないし、ましてや貢ぐタイプでもないしね。 っていうか、貢ぐお金持っていませんから。 スカタン女王様をホテルに送り届け、解散となったわけですが、 久々の夜の歌舞伎町は、ディープで楽しかったです。 でももう、3倍のスピードで飲み食いはできないなあと、個人的には思いました。 今回は体調のせいもあるけれど、 最近翌日の回復力がめっきり落ちたせいか、どうしてもブレーキかけてしまいます。 飲み倒れ、食い倒れないよう、守りに入ってしまうんでしょうね。 3軒もハシゴしといて説得力ないですか、ああ、そうですか。 ブログがご縁で繋がった3人ですが、 出会った当時から今日までの間に、それぞれの人生に変化がありました。 これは自分のブログを読み返してみても、明らかです。 杏ダイアリーのことを、かつてはアダルト系ブログ、 その後は、甘酸っぱい果実系ブログだと仰って下さった方がいましたが、 ここ数年は、どう考えても自虐ブログ。 そんな時、同世代の同性の友達の話を聞くことは刺激になります。 この先、新たな展開が待ち受けている人、 変化を避けて、現状維持・安定を望む人、 選択肢の中で決めかねて、悩んでいる人、 人それぞれでいいと思いますが、 自分はどうしたいかという視点が、私には欠けているなあと痛感した夜でした。 ありがとね。また集まりましょうね。 ちなみにあの翌日は、やっぱりお腹がきりきり痛くなりました^^;。
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