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ただいま酷い腱鞘炎で右手が使えません。激痛が走る度、うぉーと呻き声。医者からはパソコンが悪い、仕事休め、手を使うなと言い渡されるわ、そんなこと言われても困っちゃうわ、包丁は持てなくなるわ、ぱんつの上げ下ろしに難儀するわ、おしりは拭けないわ、仕事にも生活にも支障をきたしています。デパ地下のお惣菜も、もう飽きました。痛くて痛くて、痛み止めも効かなくて、もう泣きたくなります。ああ、明日こそ、フロントホックのブラ買わないともうダメだ。コメントレスが滞っててごめんなさい。 <経過> 4月末に処方されたロキソニンを服用し尽くすも、全然効かず。 ↓ ボルタレンに切り替えるも、これまた効かず。 泣く泣く、麻雀のお稽古を休む。 ↓ 超音波治療を始める。 親指から手首を固定するために、リストバンド装着。 プロゴルファーか往年のボウリング選手みたいで、ちょっとアレ(・へ・)。 ↓ フロントホックのブラを4つも爆買い。その直後に、 "ブラは前でホックとめて後ろに回すとよいかと思います" というブログのコメントに気づき、 "そうか、その手があったのか!!" と悔しがる。 ※フロントホックブラは脱ぎ着がセクシーじゃないから、あまり欲しくなかったの。 ↓ 同時に、同様のアドバイスを複数の友人からも貰う。 平常時から、前でホックをとめて後ろに回している人が多いことにびっくり(笑)。 ↓ 超音波治療二回目にして、 "こんなんじゃもうダメだ、埒が明かない" と音を上げて注射を打ってもらう。 翌日、翌々日はなんとか右手でブラシを持ち、髪が梳けるようになったが、 三日目以降、再び痛みが。ボールペンで字も書けなくなってきた。 ↓ なのに、Earth, Wind&Fireのライブで興奮し、手を叩き過ぎる。 ライブ後、右手でビールグラスが持てず。 ↓ 友人とブランチするも、お箸やカトラリー、コーヒーカップを持つと激痛。 お財布からのお金の出し入れも、儘ならなくなってきた。←イマココ 週末予定していた衣替え、プランターの植え替えも出来そうにない。 本当にナントカしないとヤバい。来週、マッタク仕事が出来なくなる。
"また交尾したいなあ~" (リーリー) ![]() "アタシ、今日機嫌が悪いのよ" (シンシン) ![]() "君たちだって、ついこの間までサルだったんだぜ" (テナガザル) ![]() "俺は百獣の王なんだ! って、ここでは誰も聞いちゃいねぇ" (ライオン) ![]() "サバンナでは、私が一番背が高かったのに" (キリン) ![]() "ま、人生、いろいろあるよな" (ゴリラ) ![]() -うん、あるある。(杏本人) ![]() ![]() 1.5km泳いだ後にテラス席で飲んだビールと、 28年ぶりに参拝した、新緑が目に鮮やかな明治神宮。 私の連休二日目は、こんな感じ。 最近、こういう休日の過ごし方にものすごく幸せを感じる。
これもちょっとした失恋なんだろうなと思う。 誰も知らない、カレすら知らない、 失ってみて初めて自分だけが気づく、さくら色のような淡い、淡い想い。 この胸の中のどこに、いつからあったんだろう。 いつも遠くから見守ってくれていて、 会えばいつも、190cmの大きな身体でハグ&両頬キスしてくれて、 (いくら外資系企業でも、全ての同僚とハグ&両頬キスするわけではない) さりげなく私を励ましてくれたり、 何より笑顔がとてもチャーミングで、その笑顔が私は大好きだった。 その笑顔で頼まれると誰もNoとは言えないような魅力が、カレにはあった。 …一度だけ、二人でしっぽりしかかったこともあった。 オンライン上で繋がっているカレのプロフィールが、最近アップデートされ、 新しい彼女ができたことを知った。 知りたくなくても知ろうとしなくても、 他人の情報が、いとも簡単に共有できてしまう時代になったなあとしみじみ思う。 そういえば、カレの電撃離婚もオンラインで知ったっけ。 その新しい彼女は、 カレの別れた奥さんと二人の子どもに加えて、 カレの"家族"に名を連ねていた。 同棲率が高く、また法的にも社会的にも同棲が認められている国だから、 法律上の結婚かどうかは関係ない。 カレは新たなパートナーと出会い、二人は家族になって、その関係を公に宣言した、 なんて端的で、わかりやすい事実なんだろう。 覗き見っぽくて我ながらさもしいなあと思いつつ、 新しい彼女の名前をクリックしてみたい衝動が抑えられない。 ふうん、こういう人なんだ…。 写真やプロフィールをまじまじと見てみれば、 彼女にもまた、別れた旦那さんと子どもがおり、 カレの別れた奥さん同様、どこまでもカレを巡る繋がりが辿れてしまう。 たとえ別れて関係が変わっても、絆まで消えるわけではない。 消す必要も断つ必要もないのだろう。 杏、someone specialはできた? カレにもよく尋ねられたものだが、外国人によく聞かれるこの質問が私は苦手だ。 毎回、答えを適当に誤魔化す自分にも嫌気が差すが、どうしても答えられない。 答えられないような生き方をしているのは、自分に他ならないのだけど、 自分のプロフィールをアップデートできなければ、 someone specialと出会ったとは言えない、 どうしてもそう思ってしまうのだ。 明日は、私が18年前に結婚式を挙げた日。 毎年なぜか、前日になると唐突に思い出す。 12年前に別れてから、 元夫とはオンライン上で繋がることはもちろん、一度も会ったことがないから、 私たちの絆はとっくに切れてしまっているのだろう。 それはそれでいいのだけれど、 交際ステータス 独身 私のプロフィールは、事実上、12年前から何も変わっていないことに愕然とし、 ふっと寂しくなる。
"ああ、早くお花見しなくちゃ" この、何かに急き立てられるような気持ちは、 この、昔は決して抱くことのなかった焦るような気持ちは、 一体、何なんだろう。 近所の学校の校庭の桜、 通勤途中の車窓から見える線路沿いの桜、 花より団子、花より酒の宴会中、思い出したようにたまに見上げる桜、 二十数年前は、それが私の花見だった。 当時はカメラなんて持ち歩いていないから、写真に撮るわけでもなく、 誰かと花見情報を交換するわけでもなく、 開花状況だってそれほど気にしていなかったから、 ろくに桜を愛でず、いつのまにか春が過ぎ、初夏になっていた年もあるのだろう。 ここ数日、ブログ、Twitter、Facebook...どこもかしこも競うように花盛り。 見知らぬ場所やいつか訪れてみたい場所、 東京から遠く離れた名所旧跡の見事な桜たちを、 こうしていつでも手元で簡単に共有することができるのは、 大変便利なのだけれど、 連日、どんなにたくさん桜の画像を見たところで、お花見したことにはならず、 むしろ、見る度に、私には焦燥感が募る。 数日前のあの暴風雨にも耐えた桜が健気に花を咲かせたというのに、 明後日にはもう散り始めてしまうのに、 こんな素晴らしいお花見日和なのに、 お花見してないオマエはニッポン人失格! と言われてるみたいな。 この週末は、録りだめした録画番組を一気に見るつもりで、 掃除と洗濯を済ませた後、いそいそとぐうたら態勢に入りつつあったのだが、 スマホで其処彼処の桜を見てしまったら、 焦燥感に加えて、罪悪感・義務感に近いような感情がこみ上げてきて、 慌てて、近所のお寺の桜を見に行ってきた。 こんなお花見はちっとも楽しくないし、美しい桜にも失礼だなあと思う。 ![]() 先週、同僚のお母様が亡くなった。 亡くなる一週間前、ホスピスに移られるという知らせを受けた私は、 "どうかお母様のお加減が少しでも良くなって、 〇〇さん(同僚)と一緒に桜をご覧になっていただきたいですね、 心からご快復をお祈りしています" ホスピスに移るということが何を意味するのかわかっていても、 そうメッセージを送らずにはいられなかった。 一昨日、地方にある同僚のご実家にお焼香に伺った。 ローカル線の駅に降り立った途端、 空気の冷たさに身が縮こまり、ブーツを履いてこなかったことを悔やんだ。 周りの山々にはまだ雪が、お庭では梅がようやく満開になったところで、 ここは、桜の季節まで、まだ少し遠かったのだと知った。 儚さの象徴であるような桜の最高の一瞬を、 毎年毎年、自分の目で見られるということは、 親世代にとって、年々、当たり前ではなくなってくるのかもしれない。 2月に脳梗塞で倒れた父は、 退院後初めての遠出として、小田原城の桜の花見を目標に、リハビリを頑張った。 母や同行して下さった友人ご夫婦のおかげで、楽しい一泊二日になったらしい。 有名どころの桜じゃなくてもいい。 上手な写真が撮れなくたっていい。 来年は、春の到来を喜びながら、和やかな気持ちで親と一緒にお花見がしたい。
喧嘩別れしたわけではないし、SNS上でも友人として繋がっているのに、 Mとこの日以来、なんとなく疎遠になっていたのは、 私の中で、彼女との接触を避けたい、という気持ちがどこかにあったからだろう。 朝からマナーモードにしていたスマートフォンに、 彼女から二度、着信履歴があったことに気づいたのは、夜だった。 用があればまずメール、 余程のことがない限り、友人といきなり電話(通話)はしなくなったのに、 一体、何の用だろう。 コールバックしたら、彼女は一旦切ってすぐ掛け直すと言い、 そうして久々に電話で繋がった途端、 Mは、杏、わたしね…と言ったきり、電話の向こうで嗚咽し始めた。 子どもが、学校でも家庭でも荒れていること、 これまでの子どもの育て方を巡って、夫婦仲が険悪になっていること、 夫に対しても子どもに対しても、自分の暴言が止まらなくなってしまったこと、 学業でも仕事でも一番を望み、人一倍努力し結果も出してきた彼女が今、 夫婦の問題と子育ての問題に直面し、 何のために、何と闘っているのかも見失っているのだろう、 家庭で孤立し、行き詰まって、どうしていいかわからないと泣きじゃくる。 昔から、親にも弱みを見せられない性格の彼女のこと、 ママ友にも悩みを打ち明けられないのかもしれない。 夫と子どもが不在の日、子どものいない私にSOSを求めてきた。 私には子育ての経験がないから、迂闊なことは言えないけれど、 夫婦喧嘩の経験なら、たぶん普通の夫婦の一生×3倍分ぐらいある。 かつて何事にも白黒つけたがり、常に正論で夫を追い詰め、 時に激しい言葉で彼の人格まで否定していた私は、 そういう喧嘩が、結局、何も生み出さないことを、 そして、己の暴言と人を傷つけた苦い経験は、 自分の傷として、自分がいつまでも背負い続けることを思い知った。 夫婦が喧嘩するのは、別にいいと思う、 でも自分が原因で親が喧嘩したら、それを目の当たりにした子どもは傷つく、 まして、子どもがこうなったのはお前のせいだって、 パパとママがお互いのせいにしたり、憎み合ったりしたら、 子どもには逃げ場がなくなっちゃうよね、 この年頃の子どもは、怒りや苦しみをうまく表現できないから、 それがきっと、友達や先生への態度に発展しちゃうんだね、 ご主人との関係を修復しようとか、●●ちゃんの素行や成績をどうしようとか、 それを今すぐいっぺんに解決しようとするのは、少しお休みしない? 毎日ひとつずつ、明日の目標を立ててみようよ、 まずは明日、ご主人と●●ちゃん(子ども)が帰ってきた時に、 笑顔でお帰りなさいと言えるように。 そのために今、Mはどうしたらいいと思う? 熱いお風呂に入る? うん、それもいいね、 明日の目標がクリアできたら、また明後日の目標を立てるの、 今、こうして私に話してくれているように、 Mの苦しい気持ちを、お母様やご主人、●●ちゃんに聞いてもらったらどうかな、 過去のことを蒸し返したり、それを誰かのせいにするのではなく、 今の貴女の気持ちをシェアするの、シェアね。 自分を責めても誰かを責めても、傷つき傷つけ、消耗しちゃうだけ、 共有も共感も、問題の一挙解決に繋がるわけじゃないけれど、 気持ちが救われて、見えてくることもあると思う、 自分の親を見ていて思うけど、親も年とると変わるなあって。 Mが問題を抱えて弱音を吐くことを、もうお母様は責めたりなさらないと思う、 親に心配かけて申し訳ないと思っても、 親の期待に沿えなかったと申し訳なく思う必要はないんじゃないかな、 昔、Mと自由が丘でフレンチ食べた時、Mが私に言った言葉、覚えてる? "何があっても●●を産んでよかったと思う。●●がいて本当によかった。" Mはとってもいい表情してて、ああ、これなら大丈夫って思ったんだよ、 昇進を前にした彼女が、予想外の妊娠で産むかどうか悩み、 産んだら産んだで、完璧主義ゆえ育児と仕事の狭間で苦しみ、 当時、彼女は鬱病を発症して8年目に突入していたのだけれど、 あの時、はっきり言い切った彼女の強い言葉と笑顔を、私は忘れない。 自身の言葉を覚えていなかった彼女は、それを聞いて再び泣き出し、 それは次第に、照れもあって泣き笑いに変わった。 杏、ありがとうね。 どこの家庭だって幾多の問題に直面するのだろうが、 時に家族でぶつかり合いながらも、乗り越えていく積み重ねが、 かけがえのないモノをもたらし、家庭・家族=守りたいモノとなるのだろう。 私は途中でそれを手放してしまったけれど、Mにはどうにか乗り越えて欲しいと思う。 私が、誰かの人生に深く関わりたくない、責任を負いたくないと思うようになったのは、 いつかまた、その誰か(夫であったり我が子であったり)を自分の言葉で傷つけて、 築き上げたモノを失ってしまうかもしれない、 それに尽きる。 結果として夫婦喧嘩も子育ての悩みもないし、それで愚痴をこぼすこともないが、 かけがえのないモノ、守りたいモノを築く機会も失った。 人を傷つけた苦い経験は、自分の傷として残る。 これは、これだけの歳月を経て、年を重ねてみないとわからなかったことなんだろうか。 せめて、これだけの歳月を経て、相手の心に傷が残っていませんようにと願う。
親が老い、病気になるということは、 否応なしに、これからの生き方や暮らし方を見直すきっかけになるんだなあと、 しみじみ思う。 数年前、実家の一部はバリアフリーにしたものの、 足腰がさらに弱くなった父の動線と安全を考え、 私たちは父の退院に備えて、 急遽、家具を移動したり処分したり、 両親の寝室の場所を変えたり、 そしてそれに伴い、ピアノを手放すことになった。 3歳から15年間弾いたピアノ。 ![]() その後はピアノから遠ざかり、 嫁ぐために親元を離れて、早18年。 実家に帰っても、もはや鍵盤に触れることもなく、 だからピアノがなくなっても今さら困らないのだけれど、 実家に帰ればピアノがある、 いつでも弾きたくなったら弾けるという安心感をキープしたくて、 私はやんわり抵抗したのだが、 母と姉にあっさり却下された。 生き方や暮らし方を見直すということは、 持っているモノ、背負っているモノを整理し、少しずつ軽くしていくこと。 それは親だけでなく、子にも求められるのかもしれない。 ![]() 姉と私がお稽古で使った楽譜も、 ![]() 高校時代、初めてのカレと出会ったバンドで使った楽譜も、 ピアノがなければ、使うこともないだろう。 思いきって、処分した。 ![]() 業者がピアノを引き取りに来る前日の弾き納めは、 ショパンのエチュード"大洋"(Chopin Etude Op. 25 No. 12)にした。 ショパンのエチュードは、"木枯らし"や"革命"が有名だけれど、 私が一番好きで、名曲だと思っているのは"大洋"。 最後の発表会でもこれを弾いて、とても気持ちがよかった。 不思議なことに、 楽譜を見ても、音符とか記号の名前とか意味とか、何も思い出せないのに、 指は覚えているのだ。 ピアノというお稽古事を通して、 娘たちは、ひとつの高いスキルを身に付けさせてもらったんだなあと、 改めて親に感謝したいと思う。 44年前に製造されたピアノは、これから途上国の学校で使われるらしい。 そこで今度はどんな曲を奏でてもらえるのだろう。 ついでに、
実は昨年の暮れ、一年の疲れを癒すために訪れた温泉地で、 私はひとり、一日陶芸体験教室に入っておりました。 ![]() 車内広告を見て、衝動的に申し込んだ手びねりクラスは、 半分以上が小学校低学年ぐらいの子どもたちで、 粘土細工はお手のもの、という彼らに、私はあからさまなライバル意識が芽生え、 お漬物を盛る器をイメージしながら、一生懸命作りました。 ![]() わりと頑張ったよね? 麺打ちで粉を捏ねるよりも、赤土捏ねている方が無心になれます。 そして色をつけて焼きあがった器がコレ。今日、宅配便で届きました。 ![]() 今年は今までになく、文化的活動をブログに綴ることができるかもしれません。 次の課題は、この器に盛るぬか漬けです。 きゅうりのぬか漬けがあれば、私はご飯食べられますが、 他にもおススメがあったら教えて下さいな。
その日、父はゴルフの予定が入っていたのだけれど、 たまたま雨で中止になったおかげで、 カップを落としたり足元がふらついたりする父の異変に、母がすばやく気づき、 大丈夫だ、と言い張る父を、 無理やりタクシーに乗せて主治医に診てもらい、 その紹介で即病院に入院することができた。 そうしてせっかく早く発見できた脳梗塞なのに、 数日間は絶対安静、を言い渡されているのに、 意識がはっきりしているせいか、 何でも自分でやろうとして、何でもひとりで出来ると思っていて、 母や看護師さんを困らせる。 昨日の夕方、会社から母に電話したら、 電話の向こうで母が泣いていた。 パパが夜中、ナースコールしてくれないの、 ひとりで立ち上がって、トイレ行こうとするの、 暗い部屋で倒れて頭打ったら、もっと大変なことになるのに、 どうしてわかってくれないの、 これからは、むしろ母を精神面で支えていかなければいけないのだろう。 現役時代、会社を一度も病気で休んだことがなく、 リタイア後も病気らしい病気をしたことのない父が、 思いがけないタイミングで、倒れた。 いや、思いがけないタイミングで、というのは都合のいい解釈で、 とっくの昔から、何が起きてもおかしくない年齢に達していたのに、 私たち家族には元気で強い父が当たり前で、それに慣れきっていたのだ。 何より父自身が、 倒れた自分に戸惑い、患者であることに慣れていないんだなあと思う。 まさか自分が入院するなんて思わなかったよ…、 会社から駆けつけた私に、やや回らないろれつで、父がそうぼやく。 春先までびっしり詰まっていた、 父の予定のキャンセルに追われる母を見ていると、 父の楽しみを奪っているみたいで、とてもせつなくなる。 こよなく愛するクラシックの定期コンサート、 向こう3ヶ月まで予定が入っていたゴルフ、 同窓会に、気が置けない友人たちとの会食、 夫婦での最後の海外旅行になるかもね、と話していた3月のギリシャ旅行、 いつか再び、計画を立てられる日は訪れるんだろうか。 ショックと悲しさと心細さを押し隠して、 今のところ、自分でも驚くぐらい、私は気丈に振る舞っているなあと思う。 シングルライフを送っている人間が、 独りしかいない部屋で一旦泣き始めたら、泣き止むタイミングが難しい。 だからいつしか、家ではあまり泣かなくなったのだけれど、 ここ数日、会社帰りの駅から自宅までの道で、 父を想うとどうしても涙が溢れてきてしまい、 涙を拭う代わりに、夜空を見上げて月や星を探すふりをするようになった。 冷たいけれども、冬の空気は澄んでいるから、見つけやすい。 この年になっても私には、 何でもかんでも、特に経済、法律、歴史のことなら何でも、 父に聞けば教えてもらえるという安心感があった。 本当に困ったりわからないことがあれば、父が助けてくれるだろうという甘えがあった。 でも、この先、 父には、出来る事と出来ない事とがはっきり分かれてくるのだろう。 家族は、その現実を少しずつ受け入れていかなければいけない。 杏、今度、パパのiPod持ってきてくれるか、 クラシックばかり入っている父のiPodを充電して、 出来ればあと数曲増やして、 この週末、病院に持っていってあげたいけれど、娘は未だにiPodを持っていない。 父の喜ぶ顔を見たいけれど、ちゃんと出来るだろうか。 父は、私が45年前に生まれた病院に入院した。 だからここが、父と初めて出会った場所。 面会に訪れる度、 自分のルーツと現在に至るまでの、親あっての自分の人生に思いを募らせる。 父とのデート1 父とのデート2 父とのデート3 父とのデート4 親心 父とのデート5 父の喜寿
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