フォロー中のブログ
カテゴリ
以前の記事
2022年 01月 2020年 08月 2018年 08月 2017年 10月 2017年 08月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 03月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 2004年 08月 2004年 07月 検索
その他のジャンル
|
海外出張を控えてパスポートの残存期間が足りなくなり、 新しい10年パスポートに切り替えた。 新旧パスポートの自分の写真を見較べて、絶句する。 40歳のわたしと50歳のわたし。確実に老けているではないか。 でも旧パスポートに記された出入国の記録を見ながら、 この10年間の自分の軌跡を振り返ってみると、 案外いい40代だったな、 年を重ねるのは悪くないものだ、 それもまた確かな気持ちであることを実感する。 安定した生活を捨てて自分の足で歩くことを選んだ30代、 正義感と責任感に燃え、会社を愛するがゆえのストレスとも闘い、 死ぬほど悩んで転職を決意した40代、 うまくいってもいかなくても自分の責任、リスクも伴うけれど、 守ってくれる、頼る人がいなくなってから、 私は自分の決断や選択に覚悟が持てるようになったと思う。 そうして積み重ねてきた経験に何一つ無駄なものはなかったと、 心から思えるようにもなった。 50代もそうありたいと願うけれども、 親の病気や介護、我が身の健康問題に直面した今、 これからはそういかないことも出てくるのだろう。 自分の思いや都合だけでは決断、行動できないこと、 思いがけず軌道修正や予定変更を迫られること、 この先、そんな場面に度々遭遇するんだろうなあと思う。 先日、深夜午前2時半に電話が鳴った。 スマホの着信には気づかず、固定電話のけたたましい音で飛び起きた。 父がショートステイ先の介護施設から病院に救急搬送され、 病院に駆け付けた母は医者に、家族を呼ぶよう言われた。 その前の週には、仕事中の私に介護施設から連絡があり、 寝込んでいた母に代わって、早退した私が病院への搬送と検査に付き添った。 いつまた呼び出されるかわからない。 当面の見通しが立たず、自分のアポは立て続けにキャンセルした。 あの3月11日からもう6年なのか、まだ6年なのか、時々わからなくなる。 6年前の今日、余震に怯えながら会社の会議室で待機していたのが、 遠い昔の出来事のように思えるし、 震災後に揃えた備蓄飲料や食料はとっくに消費期限切れ、 買い直すのを面倒臭がったまま、あっという間に6年が過ぎた。 一方で仮設住宅や復興が進まない地域の様子を見ると、困惑してしまう。 6年前で時間が止まったままの人たちは、 どうやってこの歳月と向き合ってきたのだろう。 3月11日付け岩手日報に掲載された詩が胸を打つ。 「最後だとわかっていたなら」 残された者が、その思いから解放されることはあるのだろうか。 この思いは、時が経てば経つほど深まっていくのではないか。 何年経ったか、その数字自体に意味はあるのだろうか。 私がこのブログを始めたのは37歳のとき、 まだ37?もう37? それが人生の折り返し地点だったのかどうかわからないまま、50歳になった。 さすがにもう折り返しているだろうし、そうであって欲しいけれど、 今は自分の人生の折り返し地点よりも、 大切な家族の"最後"と残り時間の方が身近で切実な問題に感じられる。 あと何回、父や母と一緒にご飯を食べられるんだろう、 あと何年、この家で暮らせるんだろう、 いつまで家族四人でいられるんだろう、 週末、父の介護のため(というより母を休ませるため)、 姉と交代で実家に泊まりこむ。 帰り際、親にかける言葉と握手には前にも増して力が入るようになった。 言葉とぬくもりがしっかり記憶に刻まれ、伝わるように。 "最後"なんてわかりたくない、 どうかいつまでも"最後"が訪れませんようにと祈りながらも、 この一年間で明らかに残り時間を意識するようになったことを自覚している。 後悔したくない、ただただその一心で。
by apricot0113
| 2017-03-11 23:45
| これから
|
ファン申請 |
||