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所詮、当事者にしかわからないハラスメントを、 第三者が無理やり法律や条例に照らし合わせて裁こうというのが、土台無理な話。 数年前、知人(女)が知人(男)をセクシャルハラスメントで訴えた。 3年を費やした裁判で、両者ともボロボロになった。 セクシャルハラスメントは、訴えられた段階で、全てを失うと思った方がいい。 信用、お金、社会的地位…、 たとえ裁判で名誉は回復できても精神的ダメージは大きく、 その後の傷心状態は見られたものじゃない。 その人の性格までも変えてしまった。 訴える側にも強靭な精神力がなければ、長い裁判を乗り切ることはできず、 たとえ勝訴したところで僅かな慰謝料以外に得るものもなく、 収賄、窃盗、殺人、横領… 事実を緻密に調べ上げた上で法が裁く罪と違って、 セクシャルハラスメントは事の真相が果たして究明できるものなのかさえわからない。 同じ場面で同じ当事者で同じ言葉や行為を再現しない限り、 ハラスメントの実情は誰にも理解されないのだから。 そして、心の傷がいかほどのものか、なんて条令では定義できないのだから。 私が彼らのために話せることは、 日頃の私の体験と私が受けた印象に過ぎず、 それではどちらの擁護も弁護もすることはできない。 それなりにお世話になった人たちだったけれど、 原告側、被告側の証人として関わることを断ったのは、 両者から恨まれたくないと思ったからではなく、 どっちもどっち、だったから。 この不毛の争い、 人が憎悪を剥き出しにして罵倒するだけの争いにうんざりしたから。 もともとスキンシップの多い男だった。 私はそれを適当にかわすことができ、度が過ぎる時は言葉で窘めることもできた。 決して、関係にひびが入ることなく。 だけど、 世の中には上手くかわせない人もいるわけで、 されている事に嫌悪感を抱いていながら言葉でNoと言えない人もいるわけで、 彼女が意志表示できないことが、 彼にとって肯定・容認と受け止められてしまったのだろう、 同じ言葉、同じ行為でも、人によってどれだけ受け止め方が異なるものか、 彼はもっと早く悟るべきだった。 訴えられるなんて青天の霹靂、 と彼はヤケ酒を呑みながら吐き捨てるように言ったが、私はそうは思わない。 彼女は彼女で、こんなタフな裁判に持ち込む前に、 どうしてもっと早い段階で問題の解決を試みようとしなかったのだろう。 聡明な人なのに。 彼女の思いに気づかなかった周囲が手を差し伸べなかったからいけないのか、 しかし、結果的にあなた方は周囲の人間をも巻き込み、疲れさせてしまった。 この自殺した東北大の助教授に、 死を選ぶより潔白を証明するために生きて欲しかった、 と言うは易しだけれど、 助教授は、無実を証明するのがどれだけ困難なことか悟っていたのかもしれない。 その果てしなく長い道のりを予想してあきらめてしまったのかもしれない。 でも、死では抗議にも無実の証明にもならない、ということには気づかなかった。 それが誠に痛々しい。 mnb-f.0510_sfさんの仰る通り、とにかく生きていなければいけない。 どんな可能性も自ら放棄してはいけない。 手鏡を没収された植草元教授には、 生きている限り、弁明する機会も再び社会でやり直せる可能性も残されているのだから。 そして、私の二人の知人にも可能性はある。 悪化した関係を完全修復させることはなくとも、 互いへの憎悪が薄れていく可能性がないわけじゃない。 受けた心の傷を癒すための時間だってきっとある、 そう願いたい。
by apricot0113
| 2005-03-24 00:41
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