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昨日、一ヶ月前に介護施設から病院に移った94歳の祖母を、 姉や従姉と一緒に見舞った。 静かな寝息と穏やかな寝顔。 なんてきれいなおばあちゃまなんでしょう。 どうしておばあちゃまは(-_-;)、あんなに美人なの? ひとまわりもふたまわりも小さくなってしまったけれど、 かつて誰もが褒めて下さった美しい顔立ちと、色白できれいな肌はそのまま。 見守り、頬をなで、手を擦り、声をかけ続けていたら、祖母がうっすら目を開けた。 私たちを認識しているかどうかはわからない。 声も発しない。 手を握り締めても、握り返す力はない。 それでも視線をひとりひとりに移し、瞬きもせずに私たちを見つめる。 遠い遠い記憶を辿り、思い出そうとしているかのような、 ああ、来てくれたのね、ありがとう、 そう伝えたがっているような、 そんな気がした、 そうしようとしているんだと思いたかった。 その前日、母とそのきょうだいは、祖母の延命措置を取らないことを決めた。 本人が自分で意思を伝えられなくなった今、 身内だからこそ、その判断を下すことは辛かったと思う。 細い首に管を挿して、少しでも長く、命を繋ぐ方法もあるけれど、 祖母らしさを保ったまま、最期を迎えさせてあげたい。 この穏やかな表情を、苦しみや痛みで歪ませるようなことはしたくない。 だから私も、母たちの判断を尊重したいと思う。 帰り際、祖母にかける言葉を一瞬躊躇った。 それでもやっぱりいつものように、 おばあちゃん、また、来るからね。 それからまた少しだけ迷って、他の人には聞こえないような小声で、 ありがとう、おばあちゃん、今まで本当にありがとう。 言葉も気持ちも、伝えたい相手が生きているうちに伝えなければ意味がない。 でもそれならどうしてもっと、元気なうちに伝えなかったんだろう。 ずっと可愛がってくれたこと、 いつも味方でいてくれたこと、 私の選択や決断を、いつでも応援してくれたこと、 母を生んでくれたこと、母の築いた家族を愛してくれたこと、 どうしてもっと真っ直ぐに、惜しみなく、感謝を伝えようとしてこなかったんだろう。 ------------------------------------ 台風一過でよく晴れた日の朝、 祖母は94年5ヶ月の生涯を静かに、穏やかに閉じました。 =祖母のこと= 湘南の家 一親等 綺麗事 お赤飯 近道 電報 ▲
by apricot0113
| 2012-06-11 02:00
| 今
両手を斜め上に広げて駆け寄ってきた二歳の女の子が、 私を見上げて何か言っている。 それが、抱っこして、という意味だと理解できた瞬間、 じんわりとこみ上げてきた感動と、一言では表しきれないうれしさを、 私はこの先もずっと忘れないと思う。 薫風が心地よい5月のある日、 緑豊かな都内某所を、友達親娘とお散歩することになった。 人見知りするようになってきたらしいし、 "魔の二歳児"らしいし、 私は会う前から、少し緊張して身構えてしまっていたのだけれど、 子どもは身構えない。 容赦なく、覚えたての言葉で私にも話しかけてきた。 何を言ってるのか、正直マッタクわからないんだけど、 それが新鮮だった。 オトナたちが、目の前にそびえるスカイツリーに目を奪われる傍らで、 コドモは、落ちている小さな赤い実をつまみ、食い入るようにじっと見つめる。 目線の高さ、好奇心の対象が全然違うことも、これまた新鮮だった。 そして、抱っこ。 毎日何時間も、それこそ腱鞘炎になるほど子どもを抱っこしているお母さんには、 笑われるかもしれない。 でも、私が抱っこをせがまれたのは、45年間で初めてのコト。 親か保育士さんでなければあり得ないと思っていただけに、 驚き且つ新鮮な出来事だった。 その貴重な瞬間を大切にしたくて、そして期待に応えたくて、 手首に激痛が走るのを堪えて、彼女を抱き上げようとしたのだけれど、 片手でひょいっと抱っこし、片手でベビーカーを押して颯爽と歩く、 みたいなスタイルを夢見ていたのに、 両手でも上に抱き上げることができず、コドモの顔の高さがかろうじて私の胸。 ずり落ちそうだし、これじゃ息ができなくなってしまう。 "抱き上げる"より、まるで"抱き合って"いるみたいで、コドモも居心地が悪いのだろう。 たちまち嫌がりだして、ママを求めた。 コドモはとても正直だ(涙)。 それでも私は、子どもに抱っこをせがまれたという事実がうれしくて、 今でも時々、あの瞬間を思い出しては、照れくさくてつい笑みがこぼれてしまう。 初めて子どもに認めてもらった、みたいな。 こんな機会、次はいつ訪れるのだろう。 大きくなれば、むしろ抱っこは嫌がるだろうし、 そもそも抱っこさせてもらえるような子どもが、周りにいなさ過ぎる。 そのチャンスや可能性は減る一方で、私を取り巻く環境は少子高齢化まっしぐら。 婚活宣言したものの、要職に就いてますます多忙を極めていた姉が、 最近、知人の紹介でお見合いをした。 お相手はいい方だったけれど、子どもを望んでおられるとのこと。 姉は自分の年齢を考え、お付き合いしないことになったらしい。 男と女のリミットは明確に違う。 これはわかっていたこと。 それでもやっぱり、甥・姪を抱っこしてみたかったよ、お姉ちゃん。 ▲
by apricot0113
| 2012-06-04 00:39
| これから
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